英国の大学図書館における利用者のプライバシーと信頼 | 文献紹介

ビッグデータやSNSの利用が盛んになり,個人情報とプライバシーに関する議論が活発に行われています。かねてより,図書館界では利用履歴が慎重に取り扱われてきましたが,実際,利用者にはどう思われているのでしょうか?

本論文は,2007年に英国の大学生と図書館員に対する意識調査を行なっています。

出典は”Journal of Librarianship and Information Science”で,抄録のみ無料で公開されています。

Sutlieff, Lisa; Chelin, Jackie. ‘An absolute prerequisite’ : The importance of user privacy and trust in maintaining academic freedom at the library. Journal of Librarianship and Information Science. 2010, Vol. 42, No. 3, p.163-177.

タイトルを直訳すると,「”絶対条件”:図書館における学問の自由を維持するための利用者のプライバシーと信頼の重要性」。

ひとことで言うと,「今のところ利用者は大学図書館を信頼している。利用履歴を外部データに紐付けず,安心して図書館を研究に活用してもらえるよう,図書館がプライバシー保護のエキスパートになろう」という論文です。

 

補足説明:NICS(英国IDカード制度)

英国では,2001年の9.11同時多発テロを背景として,2006年3月に英国IDカード法(ID Cards Act 2006(c.15))が成立しました。16歳以上の英国在住者の個人情報データベース「英国ID登録簿(National Identity Register: NIR)」を作成してIDカードを発行し,保有を義務づけるというものです。

本論文の調査は,NICS(National Identity Card Scheme)に対する懸念が高まっていた2007年に実施されています。その後,2009年11月にIDカードが発行されましたが,結局,コストとプライバシー侵害を理由に2010年12月に廃止法案が可決されました。

参考:岡久慶. 英国2006年IDカード法. 外国の立法. 2006. No. 230, p.35-71.


調査方法

  1. アンケート(学部生2,750名)

  • 全学部生の1/4を対象として,2007年夏,SurveyMonkeyによるオンライン調査を8週間実施。
  • 政府,NICS,大学図書館の信頼性について質問。
  • 大学図書館による利用者情報の保持を認めるかどうか,タイプ別・NICS施行前後に分けてそれぞれ質問。(入退館履歴の保持は,施行前なら反対,施行後は同意など)
    • 2006年NICS施行決定→2007年本調査→2009年NICS施行(調査時点では未実施)

 

  1. 半構造化インタビュー(大学図書館員6名)

  • 個人情報の利用について,学生の認識との比較。
  • データ保護の扱い,意識,態度を明らかにする。
  • データ保護に関する3つのシナリオを提示して,正しいものを選べるか?

 

調査結果と考察

  1. アンケート

  • 回答566(20.5%),有効回答は539(全学部生の5%相当)。1年生の回答が多い。
  • プライバシーに対して懸念を示す人は44.7%,寛容な人は55.3%で,先行研究より寛容。
    • Facebookやオンラインショッピング世代だからか?
    • プライバシーを失う危険性を充分認識していない可能性も。
    • プライバシーに強い懸念を抱く人は,そもそも調査に参加しなかったのかもしれない。
  • 学生の専攻分野別傾向は,
    • 懸念:生命環境科学(60%強が懸念を示す)
    • 半々:社会科学,人文科学(約50%が懸念)
    • 寛容:医学(30%弱が懸念),数学・自然科学(30%強が懸念)
  • NICSには反対が多い(53.6%,うち25%は強硬に反対)。世論調査に近い結果。
  • NICSの担い手としての政府への信頼は予想より高い(42.3%,うち7.4%は強い信頼)。
  • 各種利用者情報を大学図書館が保持することについて,NICS施行前(現時点)と施行後それぞれ同意かどうかを質問したところ,NICS施行前後で同意率がほとんど変化しないのは,
    • 延滞情報とその通知(ほぼ100%が同意)
    • 貸出中の資料(90%以上)
    • 連絡先(70%)
    • 蔵書構築のための貸出履歴(60%弱)
    • 貸出履歴を他人の求めに応じて知らせること(30%弱)
  • 同じく利用者情報のうち,「NICS施行後は同意」率が上がる項目は,
    • 入退館履歴(10%→NICS施行後は+11.1%が同意)
    • 不審な資料の貸出時に捜査当局に通報すること(10%弱→+11.3%)
    • 図書館員が貸出履歴から利用者の個人的意見・興味を監視すること(5%弱→+8.7%)
  • 図書館が外部機関に情報を渡すことについては82.9%が反対(うち27.2%は強硬に反対)。
    • 2.8%は図書館が外部機関に情報を渡していると思っている。早急に対策を。
  • 図書館が適切かつ専門的な方法で個人情報を扱っていると信じている人は81.3%(3.5%は確信を持てずにいる)。

 

  1. インタビュー

  • 貸出履歴から推測した政治的意見や宗教的信条などの情報を保存している図書館はない(図書館員は設問自体に強い拒否反応を示した)。
  • システムで保存しているデータの内容や保存期間は正確に把握されていない。
  • データは貸出管理のために利用している。
  • 貸出履歴は蔵書を改良するために使われている。
  • 図書館員は学生の興味や関心を全く監視していない。
  • データ保護に関するシナリオは全員が正しいものを選択できた。

 

結論

  • 学生が示すNICSへの反発を認識し,図書館の利用情報をNICSと紐付けないこと。
  • ドアの出入りや大学のDB接続など,行動履歴がわかる学生カードとも紐付けない。
  • 図書館員はデータ保護法に精通し,図書館のデータ保護に関するポリシーを策定し,ウェブサイトなどで認知度を高め,理解を得る。
  • 学生のプライバシー意識を高めさせ,さらにデータ保護の動向や法律の変化に対応し,長期的プランを掲げる。
  • こうした対応によって利用者との信頼関係を損なうことなく,図書館における学問の自由を守ることができる。

 


昨日(12月19日),図書館系勉強会KLCに初めて参加させていただきました。テーマは「アメリカ公共図書館とその周辺の近現代史」。911と「合衆国愛国者法」が図書館に与えた影響についても触れられていましたので,こちらの論文もご参考になるかな,と。

 

本論文の調査では,英国の大学生によるNICSへの反発が見られる一方で,施行後は大学図書館による「入退館履歴の保持」,「危ない資料貸出時の通報」,「貸出履歴から個人の思想・興味の監視」を認める意見が1割程度ずつ増えています。施行前後で意見を変えた人の多くはプライバシーに懸念を示す層だということですが,矛盾しているような気もします(プライバシーについてもテロリストについても懸念を示す「心配症」な人たちと解釈すればよいのでしょうか?)。いずれにせよ,この3項目については同意率が1〜2割と低いです。

 

日本では,1968年の各省庁統一個人コード連絡研究会議の設置(いわゆる「国民総背番号制」)にはじまり,1999年には住民基本台帳法の改正(住民票コード)があり,最近ではマイナンバー(社会保障・税番号制度)法案が審議され,議論を呼びました。冒頭にあげたウェブ上の個人情報に対する危機意識も含め,改めてプライバシーがホットな論点となりつつある現在,

日本の図書館利用者は図書館を信頼しているのか? 図書館員の認識は?

いずれ調査したいと思います。

 

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